愛知県立丹羽高等学校同窓会

みんな青春のど真ん中を思いっきり、 いつも夢中にになって走っていた それが生きている証であるかのように 未来への夢と希望を抱いて… 学んで遊んで笑って、輝いていた 苦楽を共にしたあの頃 遥かな時の流れを超えて 今 蘇る

母校の今と昔

只今準備中。もうしばらくお待ちください。

 

1974年(昭和49年)に丹羽高校は開校されました。現在までに多くの卒業生が旅立ち、その長い歴史の中でさまざまな出来事がありました。そんな母校の歴史を、先生や同窓生の方からのお話や写真で振り返っていきます。

同窓生の方へ

母校の懐かしい写真がありましたら、お言葉を添えて、ぜひ事務局までお送りください。もしよろしければ、こちらでご紹介させていただきます。

創立50周年に向けて

丹羽高校は、旭丘高校の教頭でいらっしゃった初代校長杉山英夫先生が開設の準備に当たられて開校しました。その時杉山先生には、「尾張の旭丘高校を作る」という思いがおありだったと伺っております。私は、その思いには二つの方向性があったのではないかと思っております。

一つは、学校生活を謳歌するという面です。同時期または丹羽高校に遅れて開校したいわゆる新設高校の中には、文化祭を文化発表会、体育祭を体育大会と称していた学校もありますが、杉山先生はその流れとは一線を画しておられたように思います。
もう一つは、文武両道です。過去の実績をたどってみますと、41回生までに東大に6人、京大に27人、名大にいたっては262人の合格者を輩出しています。また、インターハイには陸上部の9人、弓道部と女子バドミントン部の1人ずつの計11人が出場しています。文化部でも、報道部が10年連続でNHK杯の全国大会に出場しています。

杉山先生の理念が脈々と受け継がれて、丹羽高校は輝かしい伝統を築いてきたのです。残念ながらここ10年ほど「文」も「武」も成りを潜めた形になっていますが、平成26・27年度には国公立大学の合格者が50人を超えて60人に迫り勢いが生まれてきました。また、平成29年度には、陸上部が久方ぶりにインターハイ出場を果たしました。

この機運を大切にして、勢いを輝きにしたいものです。創立50周年に向けて、同窓会を挙げて母校の活躍を後押ししていきましょう。

同窓会顧問 2回生 大西 敏功
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